苦難福門

人生思い通りにならないのが当たり前。なぜだろうか?それは「思い通り」こそ「わがまま」だからだと思う。
人と人とがお互いの思いを持って生きているが、当然自分ばかりに幸福がやってくるのではない。

「なぜ自分にこんなつらいことが起きるのか?」と思うことがある。
世の中には、起こったことを前向きに受け止めて、「何かを教えてくれるために、このつらいことは起こっている」と考えられる人といつまでも他人のせいにし自己防衛をしながら「私は悪くない。●●の責任」と逃げる人がいる。

数年前のある夜、K社長から私の携帯にTELが入った。「すぐに来てくれ。会社が放火にあった。」

私が現場に行くと、火は鎮火していたが真っ黒に焼けただれた事務所、備品。消化の放水で使い物にならなくなった商品の山、なんとも言えない火災の状況を見て、私はK社長にどんな言葉をかけていいかわからなかった。

「社長、ひどいことをするやつがいるんですね!」と声を掛けると、「大丈夫。これは私に、この事務所をどうにかしろと神様が教えてくれているんだ。変えなくてはならないんだ。」とK社長。

莫大な被害だと思われる放火された火災現場を目前にして、もうすでに人を怨むこともなく、前を向いているK社長の言葉に驚いたことを覚えている。私は消火の済んだその事務所の漏電処理をして回った。

そして1ヶ月後、リニューアルしたその事務所は新たなお客様を迎える新しい体制を整えていた。

雨が降らない、逆に風水害などの天変地異を含めて、人間関係など、思わず落ち込むことがたくさん起きる。その時にこそ、人の資質が問われる。

苦難は私に何かを気づかせてくれる薬だと思って、前向きに生きるか?どうせ私は弱い人間。とあきらめ、他人のせいにして怨みつらみの人生を歩むか?

どんなに大声で叫んでも、あきらめてすねても、泣いて怒っても「他人と過去は変えられない」のである。
私はK社長のようになりたいと思っている。

Posted by earlybird:2009-6-30 07:07 | トラックバック (0)

このエントリーのトラックバックURL

http://www.early-b.com/bin/mt-tb.cgi/301